カーさんと会う日が決まることは、概ねお仕置きの決行を
意味します。
会えばお喋りできますし、私は正直なところスパ自体が
好きなので本音では嬉しいはずです。
でも、お仕置き。
その日の到来はけして手放しで喜べません。
当日、私は電車で待ち合わせの駅まで向かいます。
普段はあまり使わない路線の電車です。
何年もの関係を経た結果、その路線の列車接近メロディを
聞くとパブロフの犬の如く緊張が走るようになりました。
我ながらおかしいなと思います。
ひとつずつ目的駅に近づき、カーさんとやりとりする携帯が震えるたび、お仕置きが徐々に現実味を増していきます。
叱られる内容を反芻すると後悔の念が混ざり、心のざわめきも比例して大きくなります。
駅からはカーさんの車での移動です。
私が先に着いている場合は(お待たせする場合も多いですが…)改札を出たところで待機するようにしています。
待機の間はちっとも落ち着きません。
本を読んでも内容はろくに入って来ず、
「今はなんともないお尻、帰りにこの改札を通るときには
どうなってるんだろう…」などの思いが浮かんでは消え
浮かんでは消え。
会える楽しみより、心くすぐったいような不安と緊張が
勝るのです。
一人煩悶を繰り返すなか、手にしていた携帯が震えると
胸がきゅっと詰まります。
「着いたよ」の文字の確認は、お仕置きの始まりを
告げられる瞬間に似ています。
きっとこのときから始まっているのです。
見慣れた車へと近づき、助手席に乗り込みます。
今まで散々不安だの緊張だのと書きました。
とは言え、車の中では何気ない話をする場合が殆どです。
今日あった出来事や、仕事での話、相談事……
この間はお仕置きのことを少し忘れて落ち着けます。
運転するカーさんの腕や手、膝をふと見てしまったり
香りを感じると、いろいろ連想してしまいがちですが
まだ余裕です。
車を降りてお部屋に入る直前、また緊張の波が
立ち始めます。
カーさんが後部座席から何かを取り出したときには
さらに心がざわつきます。
何かとは、お道具の入った鞄です。
あまり登場する機会がないだけに、その姿を見ると
「今日はお道具使われちゃうのか…」
と不安が増します。
何度か「ちょっと持ってて」と言われ、お部屋までお道具を運んだことがありました。
自分の手で、自分を痛くする道具を持つのです。
あのときの、落ち着かない惨めな気持ちは忘れられません。
お部屋に入ってすぐにお仕置き、というケースは
一度もないです。
買ってきたお菓子や飲み物を片手に、車の中の延長線上で
お話をします。
このときは、楽しい反面、いつお説教の流れになるのかと
案ずる気持ちが陰にこっそり張り付いている感覚です。
そのうち結局カーさんの作るペースから逃げられず
お仕置きが徐々に見えてきます。
話がそれとなく今日の反省事項に繋がるのです。
カーさんの前に来るよう告げられ、さっきまで優しげだった目がどこか冷たく見えるとき、お仕置きが眼前に迫ったのだと実感します。
お仕置き後は勿論優しいカーさんです。
お尻を冷やしてもらったり、ハグしてもらったり、反省事項の確認や今後のアドバイスをもらったり。
始まるまでとは異なるリラックスした雰囲気なので
くすぐったくも安心できる時間です。
もちろんお尻は痛いのですが、この時点ではスッキリした
気持ちのほうが大きいのかもしれません。
帰りの車に乗り込むとお尻にピリッと痛みが走り、その日のお仕置きが早速思い起こされます。
また他愛もない話をして、あっという間に駅に着いて
少し車を駐めてお喋りして、解散です。
痛むお尻と少しのさみしい気持ちを抱え、帰りの電車の中でお礼メールを送ります。
帰宅した旨の連絡を入れなかったら「心配するよ」
と叱ってもらった経験があるのでそこも忘れずに。
一人になってから感じるお尻の痛みは、カーさんのお説教お仕置きを嫌でも思い出す手立てになります。
まさしく「体で覚える」。
なるべく同じ内容で叱られないよう、喉元過ぎても忘れないよう気をつけなきゃと自分に言い聞かせるきっかけにも
なります。
一方、その痛みや痕はカーさんの存在を感じる証です。
その側面があるからか、きれいなお尻に戻ると何となく
寂しくなりがちです。
キーならではの、ありがちで面倒な感情かと思います。
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